『桜咲く』って、合格を意味してるんだろうけど。南北に長い日本の南端。三月、桜なんて散ってます。
今年はセンター試験だなんだと桜を見る暇も無く、気が付けば散っていた。まあ、まだ酒も飲めないし、お花見をする習慣はもともと無い。
ついさっき、ケータイが震えてメールの受信を告げた。聡の桜が咲いて、俺の桜は、散った。
おめでとう、って。せめて一番に言いたくて。徒歩五分の道のりが今日は二分。信号なんて無視。
肩で息を切らしてたら、聡が出てきた。……まだ、インターホン押してないのに。
「っ、はぁ、お、めでとっ!!」
「ん、ありがと」
そう言って照れたような笑顔。
あと数週間後には遠くへ行ってしまう聡の姿を目に焼き付けたかったのに。涙の滲んだ視界では、聡の笑顔も歪んでしまった。
聡には「おいおい、なんでお前が泣いてんだよ」だなんて笑われてしまったけれど、聡は頑張ったもんね、って返したら納得してくれたらしい。お前も焦らず頑張れよ、なんて、見当違いの激励を貰った。
部活仲間とか、クラスメート。聡との別れを惜しむべく、空港には沢山の人が押し寄せるだろうから。
毎日聡の家に通っては掃除をしたり、荷造りを手伝ったりしている。幼なじみというのは便利な関係だ。互いの家に入り浸っても、おばちゃんもおじさんも、勿論うちの両親も何も言わない。
「お前さぁ、出発明日だよな?」
「ん、見送り?」
「行く、よ」
クローゼットの中はすっかり空だが、部屋はそのままで、聡が遠くへ行ってしまう実感なんて湧いてこなかった。
「明日、空港まで一緒に行くから」
そう言い残して、俺は自宅へと帰った。幼かった頃はとてつもなく遠く感じた五分という距離。それでも辺りに聡以外の同級生はいなかったから、幼稚園に上がる前には常に一緒にいた。そのまま、小、中、高校と。
でも、それって。
偶々、近くにいたのが俺だっただけ。高校生になってしまっても連んでいられたのは、ひとえに俺の努力に違いない。正しくは、努力の賜物なのではなく、下心、なんだけど。
徒歩五分が飛行機で二時間になってしまったら……。
いつになく悲観的な俺に、冬が戻ってきたような冷たい風が吹き付けた。
距離と時間が培った、曖昧な関係。趣味や好みを知ってはいても同じではないし、一緒に部活に打ち込んだわけでもない。けれども、俺は聡を誰よりも知っているし、多分、俺を誰より知っているのは聡だと思う。
俺にとって、家族よりも近い、そんな存在。
だから、言わないと決めた。当たって砕けてしまうよりも、ひっそりと散らしてしまう方がよっぽどよかった。
***
「何か荷物持とっか?」
「や、いいよ」
一応聞いてみたけど、聡の荷物はセカンドバック一個だけ。後は全部、あちらで調達するんだと。
空港まで車で三十分。長いような、短いような。こうして隣に座って幸せを感じられるのも今日まで。俺の日常から聡が消えて、聡の日常からは俺が消えてしまう。
無言の、それでもやっぱり居心地の良い空間を噛み締めた。
「やっぱこの時期の空港は混むね」
新生活ラッシュとでもいうのだろうか。空港はいつになく人が溢れている気がする。とは言っても普段がどんなものなのかわからないんだけど。
それにもかかわらず、人ごみの中に見知った顔は見当たらない。
「な、お前の見送りは?」
「来ないよ?」
「え、なんで? 部活のヤツらとかカズとか充とか、みんな来るって言ってたじゃん」
「出発日、教えてないから」
なんで。もしかして。でも。
「それに、休みにはちゃんと帰ってくるし。お盆とか正月とか」
やっぱり。
「まぁ、そうだな」
深い意味なんて、無いんだろうな。
「あのさぁ、敦也」
聡が小さな声でぼそっと話し出す。
名詞を抜かしても会話の通じる日本語のせいであまり呼ばれる機会の無い、俺の名前。
「四年くらい、短いと思わねえ?」
「……え」
「だから、待ってられるだろ? んな悲壮な顔すんなよ、すぐ帰ってくるって」
聡はにっこり笑って歩き出す。
聡が短いって言うなら短いよ。長いって言うなら長いんだよ。
待ってろ、って言うなら待ってられる。
それが、幼なじみとしてのポジションでも。それで、いい。
「誰が悲壮な顔してるって?」
そう言った俺の顔は、きっと。
end
『あんた、もう帰ってくるの?』
口煩い母の声を電話越しに聞く。一人息子がこうも早く帰省してやるというのに、嬉しそうな響きは無い。『早く一人立ちしろ』が口癖だったし、そんなものだろう。
「まだ一回生だから、今のうちに」
なんてのは言い訳。早く早く、夏休みに。
待っとけだなんて、我ながらよくも言えたもんだ。敦也があんな顔をして、見送りに来るから。だてに十八年も見てきてない。表情だけで何もかも筒抜け。
夏休みは八月九月。その間に、なんとしても。
試験前の悪夢の中、拳を握り締めてひっそりと決意を固めた。
「――なぁ……」
「ん?」
「あの、さぁ」
「だから、なに」
ちゅうしたい、んだよね。
「や、なんでもないよ」
首を傾げた敦也を見て、すぐそこまで出てきたセリフを飲み込む。四ヶ月ぶりに会って、最初の言葉が『ちゅうしたい』。……最悪だろ。
敦也の運転は上手い。敦也が前を向いている間、助手席で敦也の横顔を見つめてしまう。真面目な敦也はよそ見なんてしないから、いくらでもじっくり観察できる。
きれいなその顔には特に異変も異常も見当たらなくて、離れていた四ヶ月間、敦也に変な虫が付いたなんてことは無いようだった。
「さっきから、何。ジロジロこっち見て」
「え、敦也補給?」
「アホか」
自分でもアホだと思うよ、うん。でも、ほんとにそれくらい飢えてるんだって。短いだなんて言ったのは俺の口なのに、敦也に会えない四ヶ月はとても長かった。それはもう、飢え死にしそうなくらい。
さて、そろそろ実家に着く。そこから五分で敦也んち。車なら一分かからない。
「好きだよ、すごく。ちゅう、したいくらいに」
それだけ言って車を降りた。振り返ると、ハンドルを握り締めたまま、真っ赤に固まった敦也がいた。
end