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「煩い野鳥が減って観察しやすくなったなぁ」
ラクの呟きに、俺は首肯して同意を示した。
観察対象の人口は加速度をつけて減少している。あれもこれもと、言うだけはタダとばかりに本社の要請は増す一方だったが、地表をひしめいていたニンゲンが大分減っているおかげで仕事はとてもしやすくなった。
「そりゃそうスけど……。ラクさん、隊長……。オレ、もう吐きそうっス……」
ううう、と口許を手で覆ったイセはかなり気持ちが悪そうだ。「もう、限界っス……!」と言い捨てて喫煙所を駆け出た。おそらく、奴の胃袋の中身をぶちまけるためにトイレにでも走り込んだのだろう。
崩壊期の観察はまだまだ新人の胃に直撃したらしい。あいにく俺は鎮痛剤と違って胃薬は常備していないため、イセの役には立てそうもない。うちの課長なら大量に所持しているんだろうが。
新人クンよ。あの程度で根を上げられちゃ、今後とてつもなく困るんだが。
しかしこればかりは慣れだ。イセにも早いとこ慣れてもらうしかないだろう。
「喰って喰われて、醜いねぇ」
うげぇ、と舌を出してラクが吐き真似をする。バカの頭を叩くといい音がした。さすがは始末書常習犯の頭だ。中に何も詰まってないに違いない。
「でもアレ、本社の介入だから。研究所もまたキショいモノ作りやがって」
“ろ-09”では、ニンゲンのデータが少なくなっていく一方で、気色の悪い生物が台頭していた。≪バグ≫と呼ばれるソレは、HACONIWAグループの誇る総合研究所の力作であるらしい。
――対象の変化とこちらの介入が混沌により化合し新たな生命の創出へと繋がった。つまりコレはキセキの産物である。君達は大いに観察とデータの取得に励んでくれたまえ……――変態はそう語っていた。
「あ、そうなの? マルよく知ってんね」
「キャスがこの前言ってたからな。あいつ、あんなもん観察したいんだと。その上、研究所まで連れてかれて変態共にアレの説明まで聞かされたんだよ。それより班長と呼べ、バカ。何度も言わせんなよ」
「いいじゃん、マル。俺とマルの仲じゃない」
「どんな仲だよ……」
馬の耳に念仏。ため息が出る。
こいつを始め、うちの班には俺を班長と呼んでくれるような優秀な部下がいない。いや、一人いるがあの発音はよろしくない。『はんちょぉ~』、なんて語尾を伸ばしすぎだ。これだから最近の若者は。
ラクは部下だが、実は同期でもある。だからこれでいいのかもしれないが、他への示しのためにもこいつからどうにかしたいところだ。
しかし、我が第5班は全員揃いも揃って性格、もしくは性癖に難ありなのは何故だ。
部下に恵まれないのは俺の人徳がないからか、それとも課長の嫌がらせか。おそらく後者だ、間違いなく後者だ。
頭皮へのストレスを避けるべく、厄介事、面倒事は第5班にまとめてポイ――考えるまでもなく、そう決めているに決まっている。禿げ散らかした髪の毛以上に大事なものなどないという、観察六課のダメダメ課長はそういう奴だ。
「にしても、キャスかぁ。さすが観察二課の変人エリート」
「お前にそれを言われちゃオワリだな」
メガネを使用せず、仕事に虫眼鏡を愛用するような男に変人と言われてはお仕舞いだろう。キャスだってラクには言われたくないに違いない。
確かにレンズでさえあればカスタマイズは自由だし、市販品も様々なモノが売っている。
だがしかし、だ。虫眼鏡、つまりルーペ型を使用している奴などラク以外に見たことがない。聞けば、奴の虫眼鏡は研究所へレンズを持ち込んで作ってもらった特注品らしい。一点モノだ、と言って自慢してきたが、凡人の俺には虫眼鏡型を選ぶセンスなど到底理解できる代物ではなかった。
大抵は俺のように安いメガネ型か、そうでなくてもYACYO社などが販売している市販のモノを使う。
現にイセはキャスに貰った双眼鏡タイプの物を使っていた。メガネの時とは打って変わって気持ち悪いくらい大事に扱っているが、それを見る度に俺は遣る瀬無い気持ちに陥ってしまう。
――あぁ、メガネもそれくらい大事にしていたら壊れはしなかったろうに。そしたらデータも破損しなかっただろうし、俺のボーナスも飛ばなくて済んだというのに……。
今更嘆いても仕方がない。物事には諦めが肝心だ。
「えー、なんで。俺、キャスよりはマトモだって。普通にキモイと思うよ、アレ」
「そういうトコだけは普通なんだな、お前。キャスはホント、うちより研究所行った方がいいんじゃないのか」
キャスのゲテモノ好きはラクにまで変人と称される程だ。研究所や本社の方が余程向いているように思う。
エリート家系のくせに、なぜ観察課なんて昇進の望めない部署にいるのか不思議でならない。変人には変人なりの考えがあるのだろう。どちらにせよ、俺には関係のないことだ。
煙草に火を点け、そのままマッチの火を見つめる。指に熱を感じたところでバケツにボチャン――意味のないこの行為は俺の癖だ。
一連の動作が終わると、ところで、とラクが話し始めた。
「“ろ-09”、X=100以降とX=00のあたりじゃ崩壊の速度もバグの侵蝕の程度も全然違うね。面白い」
アレをキモイとは感じていても、その上でなお、それを面白いと思えるのか。やはりラクの感性は変態のそれと同じだ。キャスもラクも研究所へ行ってしまえ。
「仕事に面白さもクソもねぇよ。――あぁ、でも待てよ。X=00付近は穏やかだったはずだな……イセに行かせるか」
「仕事バカのマルにこそ言われたくないんだけど」
「お前はサボリ過ぎ。これが普通なんだ」
サボリ魔のラクにとっては俺が仕事バカに見えるらしい。
しかし、箱庭の変化を面白いと言うラクの方が、ある意味では仕事好きと言えるだろう。
俺にとって観察は仕事で、それ以上でもそれ以下でもない。単に生活のために働いているに過ぎず、それがたまたま箱庭観察だというだけの話。
「それは置いといて。マルはイセに甘いなぁ」
「安心しろ、お前には鞭をくれてやる。座標X=120はお前が行け。ちゃんと働けよ」
それなりに崩壊期にも慣れているセータを補助につけてやればいいだろう。
――さて、ヤツには今どこを担当させてたんだったか……。
振り分けた仕事を思い出すついでに、『女の子はみぃんな、可愛いモノが大ぁい好きなんですよぉ~』と、だらしない発音で語っていたセータの主張も思い出した。
だがまぁ、セータの言う『可愛いモノ』は世間一般の基準とは少々異なっているようだから、きっとアレも平気だろう。少なくとも今のイセよりはセータの方が役に立つ。
「あ、それ愛の鞭ってやつ? もしかして――俺って愛されてる?」
嬉しい――ラクはそう言ってデカい体をくねらせた。
そうだ、失念していた。こいつは何もかも都合の良いようにしか受け取らないアホだ。
「勘違いするな、お前にやるのはタダの鞭だ」
「それもイイね!」
「このド変態が!!」
あぁ、クソったれ――脳ミソ空っぽのバカ野郎は、ドのつくエムでもあったらしい。
ますます喜んでしまったラクを目の前に、俺は諦念のため息を吐いた。
end