「たいちょ〜! 隊長!」
“ろ−09”が≪終末≫へのカウントダウンを進めているなか、データの提出に本部へ戻ってきた俺はイセに捕まってしまった。
つい最近一人で≪観察≫に出れるようになったのだが、何かあったのだろうか。
「どうした、なんかまたミスったか?」
その言葉にイセはムフフと妙な笑いを返し、じゃじゃ〜ん、と変な効果音つきでデカイ双眼鏡を目の前に差し出した。
「前にYACYO社が限定で販売してたヤツなんスよ! レアなんッスよ!! プレミアついてるんっスよぉ!!!」
「どっからかっぱらってきたんだ、そんなもん」
嬉しいのも興奮してるのもわかった。しかし声がデカイ。
ここは喫煙所で休憩室のようなもんだが、社内にはまだ働いてる奴もいるのだ。
それにもかかわらず、イセは「んなわけないじゃないスか!! ほら、ちゃんと見て下さいよぉ!!」と騒ぎ続けている。
声を聞きつけたのか、はたまた単に休憩という名のサボりに来たのか。
確実に後者だろうが、“ろ−09”で馬車馬のごとく働かせるため、辺境の地から呼び戻していたラクが喫煙所へ顔を出した。
「なになに? 楽しそうな会話しちゃって」
楽しいのは声と図体ばかりがデカイこの新人だけだ。イセの声は二日酔いの頭に響く。
俺は楽しいというよりもむしろ拷問に近い扱いを受けている。煙草を口に咥えてこめかみを押さえた。
「あ、センパイも見てくださいよぉ!」
喧しい新人は、ラクへも自慢を始めた。話の合間合間にでへへとだらしない笑いが入っている。余程その双眼鏡が嬉しいようだ。
実際にちゃんと聞いているかは不明だが、ラクはふんふんと相槌を打ちながらイセの相手をしている。こいつは相槌だけは一人前だ。そのクセ、『あれ? 言ってたっけ?』などと寝言を抜かすのだが。
「キャスさんに譲ってもらったんスよ! 使わないし、物置の肥やしにするよりは、つって。しかも無償で!!」
さすがはエリート、太っ腹だ。
キャスは確か、仕事には片眼鏡を使用している。冷たく整った顔にモノクルなんてドコの貴族サマだよ。似合っているのがまた嫌味だ。
「そりゃ、よかったな……」
「これで≪箱庭≫の観察も完璧っスよ」
「野鳥観察には双眼鏡はもってこいだもんね」
胸を張って宣言したイセに、ラクも太鼓判を押す。しかし、妙な虫眼鏡を仕事に使っているラクが言っても信憑性が薄い。俺は断然、メガネを推奨する。
だがまぁ、確かにヒビの入ったメガネよりは双眼鏡の方が向いているだろう。
「そのわりにはお前、この前提出したやつデータ吹っ飛んでるってシス二課から苦情が来たぞ」
それもシステム二課の氷の女王から直々に。社内一と言われる美女の怒った顔はとてつもなく怖かった。
「す、スミマセンっした……! でもでもでも、これからは汚名挽回しますから! ネ! それにアレは前のヤツで撮ったデータなんスよぉ……しゃあないじゃないっスか」
だって壊れてたんだもん! とでも言うのだろうか。そうだとしても、だってもクソもない。これは仕事だ。
甘ったれた新人クンの覚えの悪い脳ミソに叩き込んでおかねば。
「汚名返上に名誉挽回だ、ドアホ」
へへへ、じゃねぇよ。
『次は上に報告しますから』と冷たく言い放たれたんだ、もし次があったら俺らは揃って減俸だ。
頭が痛い。これは二日酔いの頭痛ではないだろう。間違いなく、イセのせいだ。
そこに、一連の遣り取りをニコニコと見ていたラクが追加攻撃をした。
「仲良しだねぇ。いいなぁ、マル、俺とも仲良くしよーよ」
「お断りだ」
まずはデートからだね――ラクのふざけた誘いを間髪入れずに断る。
こいつもこいつでロクなことを言わない。頭痛が酷くなる予感がした。
後で薬を飲もう――そう思ったのだが、こんなときに限って頭痛薬のストックを切らしているのを思い出した。
俺の常備薬は社内の売店には置いていない。あるのはグループ会社の総合研究所製のみだ。アソコで作られたモノなど恐ろしくて飲む気になれないため、俺は林檎製薬のものを愛用している。
どんなに痛みが強くても俺は絶対に『痛い痛いのfly away』なんてモノは使わない。絶対にだ。俺は『痛みHIKONA』ちゃんひと筋だ。なにより、パッケージに描かれたリンゴマークとヒコナちゃんのイラストが可愛くてイイ。
――帰りにドラッグストアに寄って買い溜めしておこう。
痛みを訴える頭を抱えながらそう決めていると、ラークマイルドをふかしたラクが「そういえば」、と声をあげた。
「“ろ−09”、思ったより崩壊ゆっくりだね」
「あぁ、そういえばそうだな。まぁそろそろ本社も本腰入れて介入してくるだろうし、今のうちだろ」
現に、研究所のやつらは嬉々として新作の研究に勤しんでいる。“ろ−09”へ投入してもらうつもりなのだろう。
思う存分弄くり回せる崩壊期の箱庭は、奴らにとってとてつもなくアリガタイ存在なのだそうだ。何がそんなに楽しいのか。変態と上層部の考えることなど俺には理解不能だ。
「あ、でもセンパイ、新種生まれてたっスよね? 変化はあったじゃないスか」
そう言ってイセが首を傾げた。
「おま、それちゃんとデータ取ったか!? 俺は聞いてねぇぞ!」
「ああああ! この前の! 飛んだやつに入ってたみたいッス!!」
「はあああああ!? バッカヤロ!!」
「ずみ゛ま゛ぜん゛〜」
イセが半泣きで謝る。イイ歳こいた大人がデカイ図体で泣いても何も可愛くない。むしろキモイ。
頭痛は酷くなる一方で、一向に収まる気配がない。二日酔いになるまで呑んだ俺もバカだったが、部下2人はそれ以上にバカだ。
――あぁ、俺の愛しいボーナスよ、さらばだ……。
はあぁ、と大きく息を吐いて腹を括った。
今年は車が欲しかったのだが、こうなってしまっては仕方がない。部下の不始末は上司の責任だ。
「お前、俺も一緒に謝ってやるから今から報告行くぞ。始末書の書き方は後でラクに聞けよ」
「いってらっしゃい」
始末書常習犯のラクがヒラヒラと手を振って見送る。
チクショウ、呑気に笑ってんなよ。俺の頭痛の種はイセだけじゃない、お前もだ。
後でラクに八つ当たり決定――大人気無い決意を胸に、俺はイセを引き摺って喫煙所を後にしたのだった。
end