桃色綿飴


千裕が目を覚ますと、そこには見慣れた桃色の綿菓子があった。しかし、それは猫ではない。少年の頭だ。ふわふわとした桃色の髪をした、少年がいた。
酔った勢いでとうとう何かやらかしたのか、そう思った千裕の体を冷や汗が流れた。こんな奇抜な頭をしている、しかもどう見ても未成年の少年をどうにかする趣味なんて無かったはずだ。
まるで、自分が拾った猫のような見た目。しかし、拾った事があるのは猫だけで、少年を拾った覚えは無い。

千裕が驚きに固まるなか、眠りこけていた少年は薄い目蓋を開け、猫――千鳥と同じ、ライトグレイの瞳を露わにした。


▼04


「あれ……? いつの間に寝ちゃったんだろう」
ごしごしと目をこすり、千鳥はいつものように「おはよう、チヒロ」と声を掛けた。
いつもならばおはようと返し、撫でてくれる千裕は、今朝は微動だにせずこちらを見つめている。
「……お前、誰?」
やっと硬直が解けた千裕の第一声はこれだった。
「千鳥だよ。千裕が新しい名前をくれたんじゃない」

やはり、千裕は驚いてしまった。千鳥の心がぐらぐらと揺れた。
それでも、千鳥は千裕に伝えなければならない事がある。千裕が全てを拒絶しても、これだけは言っておかなければ千鳥には後悔しか残らない。
「チヒロ、チヒロ! 僕、チヒロが好きなんだ。絶対、誰よりも好き。チヒロの子どもを産んであげたいくらい、チヒロが好き!」
「子供?」
いぶかしんだ千裕の様子で、千鳥は世界の違いを実感してしまった。ここは留学先。ガーデンとこの世界は違う場所だ。だから、世界のルールも違う。
「そっか、チヒロは転身できないんだった……。それじゃあ、僕が子どもを産んであげるのはムリだね」
子どもを産むのは大変なことだと聞いたから、だから自分が生んであげようと思ったのに。白と黒の先輩はいつもそれでケンカをしている。
名前をくれたチヒロに、何かあげたいと思ったのだ。この気持ちも、全部全部あげたい。出来る事なら何だってしてあげたいから。

「待て、待て待て。お前がちぃだとして、それはいい。とりあえず置いておこう。だがな、俺もお前も男だろう? いや、それも良いんだ。俺はゲイだし。だけどな、ちぃ、男は子供を産めない」
唐突に告白し、非現実的な事を言い出した子供に対し、千裕は優しく諭すように言った。
「僕の世界は産めるのになぁ。ここは難しいね」
自分に出来る事が一つ減ってしまった。千鳥は小さく肩を落としたが、打開案を見つけて「そうだ!」と声を上げた。
「じゃあ、僕が大人になったら、僕が雄になってもいいよ!」
「それは……。もしかしなくても俺が掘られるってことか……」
「だって、チヒロは獣型を持っていないでしょ?」
「いや、俺は子供を産めないし。お前がどこから来たかは分からないが、それも無理だろ」
「そっかぁ」
せっかく言葉を交わせるようになったというのに、世界間に横たわる溝はあまりにも広く、深すぎるようだった。小さな千鳥では到底、越えられそうもない程に。
ライトグレーの瞳が潤む。

落ち込む千鳥と、混乱する千裕。しばらくの間、狭い室内に沈黙が流れた。静寂を破ったのは黒髪の大人、ふわふわの綿毛が落ち込む様を見ていられなくなった千裕の方だった。
「……まぁ、いいか」
そう言って千裕は猫の千鳥に常にしてやっていたように、自分の側をポンポンと叩いた。
「ほら、おいで。ちぃ」
ニッコリ笑う千裕の側に寄って、千鳥は彼の顔を見上げる。小さな猫からひとになっても、千鳥は小さなまま。
千鳥が越えられなかった溝も、壁も、もしかしたら千裕には簡単に越えられるものだったのかもしれない。
(あぁ……)
いつものように綿毛をかき乱され、千鳥は嘆息した。千裕は変わらない。それが嬉しい。
ひとの姿の千鳥を見ても、「それはいい」と言ってくれた。何がどういいのかは分からないが、少なくとも存在自体を拒絶されてはいなさそうだった。

「好きだよ、チヒロ。好き」
他の言葉を忘れたように繰り返す千鳥に、千裕は困ったような笑顔を浮かべ、しかし直後、大きく息を吐いた。
「据え膳っぽいし、いいかな」
ピンクだし、まだガキだけど……――。
小さく呟き、千裕は千鳥をベッドへと転がした。

千裕の口から柔らかい綿菓子のような甘い言葉が囁かれるのは、そのもう少し後。
そして、それが千鳥に届いたのかどうか。千鳥が“運命”を手に入れられたのか、どうか。
それはとろけた飴のように幸せな寝顔を晒す、桃色の少年だけが知っている事だ。


end

 

▲TOP   ▲INDEX