広瀬くん、今日もかぁっこいい……!
真剣な顔で携帯を見つめている広瀬に対し、火傷しそうな程に熱い視線を注ぐ男が一人。
広瀬の座る位置から長テーブルを二つ挟んで真向かい、女子学生も羨む陶磁の肌に、薄く染まった頬。ぽってりとした唇と大きな目は広瀬の好みだが、男。無情にも、男。
当然、その男、桐谷の胸には、宇宙の神秘が詰まった柔らかく大きな二つの山など存在しなかった。
広瀬をぼんやりと見つめ続ける桐谷の前には、冷めきったデミオムライスとゼロカロリーの寒天が並んでいる。
だが、桐谷はオムライスをすくったままのスプーンを口へは運ばずに、そのまま皿へと戻し置いた。
そして、命よりも大事な自分の携帯をいそいそと開く。カメラ機能を売りにしたその機種には、桐谷のヒミツが溢れんばかりに詰まっていた。
ダメだけど、ダメなんだけど……! でも、やっぱり! こんなにいいアングルで撮れることなんて、もう無いかも。もしかしたら、ラストチャンスかも!
だから、ちょっとくらい、いいよね。
真正面という素晴らしい位置、しかも当の広瀬は携帯の操作に集中しており、気付かれるような心配もほとんど無い。ゼロコンマ数秒の単位で葛藤したものの、誘惑には勝てなかった。
素知らぬ顔で携帯を構え、シャッターを長押しする。
――かしゃり。
学生たちの歓談する声に紛れて、消すことのできないシャッター音が小さく響いた。
――なぁ、隣イイ?
この講義つまんなくね? 刑総って結局何が通説なんだよ、おい。各論と段違いに難しいじゃん、これ。お前は解った? だよなぁ、解るわけないよなぁ。
あ、そうだ……――これ。席、空けてくれたお礼な――
そう言って手渡されたのは、イチゴ柄の包み紙が可愛らしい、三角形の飴玉。
その瞬間から、桐谷の大学生活は薔薇色だった。
雨の日も、風の日も。過去最高気温を塗り替えた猛暑だって、吹雪いて交通機関が麻痺した極寒の日だって、桐谷の生活は春真っ盛りだ。
同じ学び舎、平日の日中だけはずっと同じ、一つ屋根の下。それだけで世界はキラキラ輝いていたし、幸せだった。
だって、広瀬は話し掛けてくれた。微笑んでくれた。
田舎から一人で上京して右も左も分からなかった俺に。大学生活で新しい友達なんて作りきれなかった俺に。
新しい生活はいつまで経っても肌に馴染んでくれないし、楽しみの一つも見出せなかった俺の前に、広瀬が――王子様が現れたんだ。
いちごミルクは恋の味。
人恋しくて、寂しくて、毎日がつまらない。そんな桐谷は一瞬で落ちた。一目惚れだ。
広瀬の事をもっとよく見るために、レンズに疵が付いて曇っていたメガネからコンタクトにも変えた。広瀬の事を想うとご飯も喉を通らなくて、体重もグッと落ちた。
恋は人を変える。そして、愚かにする。
遠くから見つめるだけ、胸の内に仕舞っておくだけで満足できたのなんて、最初の、ほんの僅かな間だけのこと。
広瀬の取っている講義を調べてそれに合わせたり、さり気無さを装って近くの席を取ったり。
それだけで満足だったのに、気がつけばアレも、コレも。もっと、もっと広瀬が見たい。彼が知りたい。
人間の欲望というものは果てしないものだ。そして桐谷もまた、開悟なんて程遠い、煩悩にまみれた人間で、その上、自分に正直な性質だった。
桐谷の携帯電話はその本来の役割のために使用される事はあまり無く、付属機能だけが大いに活躍していた。そしてそのシークレットフォルダには、死んでも他人には見せられないモノが大量に保存されている。
イケナイ事をしてる。でも、やめらんない!
それは桐谷の至福の瞬間。
桐谷にとって、広瀬はとても遠かった。優しい笑顔の王子様は、遠い遠い、憧れの君なのだ。
桐谷は思う。
彼から直接、俺に何かが与えられることは、多分もう無い。だって俺には彼の大好きなモノが付いてないから。だからこうやって、こっそり広瀬の一瞬一瞬を切り取って、それを宝物にするんだ。そのくらい、別に、いいよね。
そのため、桐谷はこの日の収穫に大満足だった。
あぁ、また一枚、宝物が増えてしまった……。
そうやって幸せに浸っていたのに、次の瞬間、桐谷の視界から広瀬が消えてしまった。
「なぁに一人で思いつめた顔してんの」
「あ、三井。オンナ紹介して」
合コン開いてくれるんでもイイよ――やって来た邪魔者に対し、広瀬は己の欲望に忠実な頼みごとをする。
広瀬観賞、それは桐谷の最大の趣味で幸せだ。それを奪った憎き敵は三井だった。
「ヤだよ。お前、大事にしないし」
その上、三井は適当な返事をしながら広瀬の向かいの席に腰掛けてしまう。
あぁっ! 三井くんのバカ! 向かいに座ったら広瀬くんが隠れちゃうじゃん! でもでも、今日の一枚はベストショットのはず……!!
そう自分を励まし、『本日の王子様』画像を確認しようと携帯を弄った。
すると、そこに写っていたのは桐谷の王子様――広瀬ではなく、彼の顔を覆い隠してしまったお邪魔虫、三井の背中。
はぁ…………。
ぼやぼやしていた自分が悪いのだ。そうは思っても、桐谷は涙が出そうだった。期待した分だけ落ち込む際の反動は大きい。
すると、桐谷の溜め息に反応したかのように、三井が後ろを振り向いた。三井の背中越しでもいいから、と広瀬を見つめ続けていた桐谷と視線がぶつかる。
どうしよう、気付かれた。
驚いて反応出来なかった桐谷は、ワンテンポ遅れてぎこちない笑顔を作った。
奴とは同じゼミに所属しているのだ。お邪魔虫とはいえ、知り合いに対して無視をするわけにもいかなかった。
そういう理由から辛うじて作られた笑顔に対し、三井は人を見透かすような、それでいて爽やかな笑みを返してきた。
もしかして……ばれてる……とか……。
桐谷の体に嫌な予感が走る。
でも、まさか、そんな。ウソだ。
ただ単に、三井はいつもあんな顔をしてるだけ――そう思い込みたいが、悪寒は晴れてくれなかった。
三井の笑顔に追い立てられるように、桐谷はその場を後にした。
つづく!
プチストーカー健気。