3限目の講義終了後、どんよりと暗い雰囲気を背負った広瀬に、三井が話し掛けた。
「色気ってのはさぁ、醸し出す程度でいいんだよ。全開にしてたら引くだろ」
「何それ。嫌味?」
何を思って広瀬がじめじめしているのかなんて、三井には大体想像がついた。大方、良さそうな女がつかまらないのだろう。
何が嫌み? だ。嫌味なのはお前の醸し出す色気の方。あまりにもアピールの強いソレはお堅いこの学部の女子には向かないんだけどね。何にも気付かないのは広瀬、お前だけ。
三井は何もかもに無頓着で鈍感な友人に対し、心の内でアドバイスを告げる。
「ん? なんとなく」
言いたくなっただけ。三井はそう言って、いつもの嘘くさい笑みを浮かべた。
――かしゃり。
あの日、小さく鳴ったその音に被せるように、三井はわざとカメラの真向かいに立った。
これは桐谷に対する嫌がらせだ。呑気な友人を軽いストーカー被害から守ったわけではない。むしろ、こうやって邪魔を入れることで悪化でもすればいい。三井はそう思っていた。
桐谷がこちらを見ていることなど分かりきった上で視線を交わし、見透かしたような笑顔まで追加してやった。
焦ったかな? 桐ちゃん、次は何すんのかなぁ? あぁ、ソワソワしちゃって。可愛いったらないね。
こうやって桐谷を突くのは彼が嫌いだからではない。むしろ、三井は桐谷を気に入っていた。桐谷は三井の付けた美脚ランキングナンバーワンだ。
なのに――なんでどいつもこいつも、広瀬がイイんだか。
あれからもうひと月は経つ。桐谷は相変わらず広瀬を追いかけ続けているが、その行動は明らかに抑えられていた。
思ったより動かないのネ、桐ちゃん。つまらないっての。
短い回想を終え、三井は優男の皮を被ったロクデナシのヘンタイを見遣る。
広瀬は「ナニがなんとなく、だよ……」と力無く呟き、「まぁいい」、と話を始めた。
「とにかく俺の話を聞け。戦況は危機的状況にある。もうひと月だ。つまり一ヶ月間、オンナがつかまらない……!!」
曰く、それは連戦連勝を誇ってきた広瀬にとって、非常に屈辱的な五連敗らしい。
推定E子は広瀬より三井派。推定F子はお断りしたスレンダー真理の友達、もちろん振られた。推定G子は彼氏あり、ちなみに老け専だから彼氏がいなくても広瀬はダメ。
仕方がないので範囲を広げ、G75ちゃん、H80ちゃんにも声を掛けたのに、こちらにも丁重にお断りされてしまった――愚痴のような広瀬の報告を、三井は茶々を入れながら聞いてやる。
「この俺が、この広瀬サマが、誘いを掛けて断られてんだぞ……。お前、絶対なんかやっただろ……」
「俺は潔白だって。何にもやってマセン。ていうか、もう巨乳の子食い尽くしちゃったんじゃないの?」
広瀬の自業自得、自己中心的な俺様男に同情の余地など無い。慰めの言葉の代わりに、三井は鼻で嗤ってやった。
俺じゃないんだけどね――三井は心中で呟いた。
広瀬は知らないのだろうが、真理という女には熱心な信望者が多くいる。その上、女の口コミネットワークというモノは広いのだ。
だから広瀬の馬鹿馬鹿しい苦労は三井の所為ではない。
「あぁ、おっぱいちゃんが恋しい……」
「全部お前のせい。俺は何にもしてないから」
ただ――どこかで、ダレかが、ナニを。話してても、愚痴ってても、否定も何もしてやらなかったダケ。
続きのセリフは言わず、三井は意識して呆れた顔を作る。
「このままじゃAV女優にばっかり詳しくなってく……」
まぁ、もともと巨乳人妻系は詳しいけどな――広瀬はそう言葉を続けて端正な顔を苦悩に歪めた。しかし、その悩みといえば己の大好きなおっぱいについて。本当に、どうしようもないフェティシストだ。
「お前はホント、幸せな男だよなァ」
そう、広瀬という男はお幸せな鈍感ヤロウだ。第三者でさえ気付く、あんな熱い視線をモロに受けたって何にも気付かない。
桐ちゃんも困った奴に惚れたもんだよねぇ……。
だけど――三井はほくそ笑んだ。
こりゃイイな。オモシロイ。今の広瀬はいつになく飢えている。さて、どうしてやろうか……。
他人の不幸は蜜の味。性格の悪さは自覚していた。他人の恋路を引っかき回すこと、それが三井の趣味だった。
「ニヤニヤ笑うなよ。キモイって、お前」
「ま、ガンバレよ、広瀬。イロイロ、ね」
――愉快なコトになりそうだ。
広瀬の言に対し、三井はニヤリと人の悪い笑みを浮かべ、忠告を兼ねた励ましを贈ってやった。
木曜4限、ゼミの時間だ。三井と桐谷は同じゼミに所属しているため、毎週この時間は顔を合わせることになる。
さて、恋のお手伝い、キューピッド。この三井サマが一肌脱いであげましょう。
三井はニヤニヤと笑いながら桐谷へ話し掛けた。
「桐ちゃん、今日もきれいだねー」
「俺のこときれいとか言うの、三井くんだけなんだけど……」
そう言いながらも、桐谷はまんざらでもなさそうだ。
「あ、脚がネ! 桐ちゃん、顔も可愛いケド、残念。俺の好みは冷たく澄ましたキレイ系なの。泣かせてみたくなるっしょ?」
怪訝な表情になった桐谷に対し、三井は準備動作など無しに、本題を直球で投げつけてやる。
「広瀬はやめとけば?」
「やめるって、」
何が、と続けようとした桐谷を遮り、三井は笑みを浮かべて話を続けた。
「あいつ、女の子っていうかさ、おっぱいにしか興味無いよ? それも、巨乳なら何でもオッケー。手当たり次第の変態。それに手も早いしネ。見た目以外に良いとこなんて無いって」
ヒラヒラと手を振って一呼吸置き、言葉を足す。
「あぁ、でも隠し撮りはいけないよ。一応ね」
その瞬間、目の前の桐谷は色を失った。
それには構わずに、三井は演説のような広瀬談を延々と繰り広げてやる。桐谷の小さな頭がじょじょに俯きを増していくのが面白く、演説にも拍車がかかる。
泣くかな? 泣いちゃえよ。可愛いなぁ。
エス心を擽られ、三井は至極愉しかった。そして、ダメ押しのひと言を投下する。
「桐ちゃんにおっぱいがあったら別だと思うけど。桐ちゃん、男だもんねェ」
そう言って、ニッコリ。
桐谷は鈍感ではない。告白する気もないくせに、という響きは感じ取ってくれただろう。返される反応を想像しながら無言の間を楽しむ。
「――胸くらい……! おっぱいくらい、作れるよ……!」
俯いた頭からのぞく両耳を真っ赤にしながら、桐谷は声を絞り出した。
「……シタは、譲れないけど!!」
言い切って顔を上げ、可愛い上目遣いでこちらを睨みつけてくる。
桐谷の必死な瞳と三井の余裕な目が無言の、しかし激しい応酬を続ける。今にもこぼれ落ちそうなのは大きな瞳か、それとも涙か。
あぁっ、最ッ高! 苛めた甲斐があったもんだ。
三井は身震いした。そうして再び思う――あぁ、愉快なコトになりそうだ……。
沈黙を破ったのは、5限目の開始を告げるチャイムの音。
気の抜けるその音に弾かれたように桐谷は教室を駈け出た。苛めがいのある獲物の美脚を見送りながら、三井は一人、呟いていた。
「しばらくは、いい暇つぶしができるなァ」
つづく!