No Border!

 


『あぁ、でも隠し撮りはいけないよ。一応ね』

やっぱり、この前の学食でばれたんだ……。
涙が滲んで潤んだ視界は、裸眼の時のようにぼやけている。コンタクトが落ちてしまいそうだ。だが、それには構わずに桐谷はトボトボと家路を辿っていた。

『桐ちゃんにおっぱいがあったら別だと思うけど。桐ちゃん、男だもんねェ』
くやしい、くやしい、くやしい。
わざわざ三井に言われずとも、そんな事は桐谷にも分かっていた。自分は男だ。それは覆しようの無い事実。どんなに想っても現実は変えられない。
それでも、誰かを想うのは人の自由で、恋にルールなんて無用だ。三井に口を出される謂われは無いはず。
なのに――三井くんはひどい。意地悪だ。

我慢していた涙が零れてしまいそうだった。しかし、こんな日の明るいうちからメソメソと泣きながら道を歩くわけにもいかない。
桐谷は俯いて目をシパシパとさせた。そうやって悲しさと悔しさの入り混じった感情をやり過ごそうと、そのまま足元だけを見つめて歩き続けた。

▼04 桐谷―いつか王子様が―


ふと、前方など確認せずに、俯き加減で歩いていた桐谷のセンサーに何かが引っかかった。
広瀬くんだ。近くに広瀬くんがいる気がする……!
恋する人間の勘は侮れない。四車線の広い道路を挟んだ向かいに、桐谷の想い人が立っていた。桐谷の広瀬センサーは実に優秀だ。落ち込んでいても、彼を発見するとすぐに教えてくれる。
あぁ、やっぱり! 広瀬くんは今日もかっこいい!
広瀬はガラス張りの店内を覗いているようだったが、その扉を開くことは無く足早に去って行った。

何を見てたのかなぁ……――先程までの落ち込みは何処へやら。桐谷の広瀬欲が疼く。
一目その姿を見るだけで桐谷の心は明るく晴れて、世界はみんな美しくなっていくのだ。それに、広瀬の何もかもを知りたいという欲求は、たとえどんな気分の時であっても抑えられない。

広瀬の姿が見えなくなるまでじっと見送った後、桐谷は道を渡ってその店を訪れた。するとそこは、犬のキャラクターが可愛い小さな町のケーキ屋だった。大皿に盛られたクッキーシューには、バニラビーンズの入ったカスタードが溢れんばかりに詰まっていて、甘い匂いを放っている。

いつもの桐谷ならば、見て見ぬふりをして絶対に入店などしない。甘いものはカロリーが高すぎる。
せっかく痩せたのだ。万が一、広瀬の視界に自分が入ってしまってもいいように、見苦しくない体型を保つ必要があった。それ故、桐谷は太るようなものを食べる事は避けていた。
しかし、卵とバター、生クリームの甘い甘い匂いは、まるで今の桐谷を慰めるように、元気づけるように店内へと誘う。

せっかく、せっかく我慢してたのに。――でも、落ち込んだ時には甘いものって誰かが言ってた。いつものいちごミルクだけじゃ、きっと元気は取り戻せない。だから、今日だけ。
広瀬くんが見てたこのお店のケーキで、自分を慰めるんだ。そのくらい、構わないハズ。

そう思案して、桐谷は店内へと足を踏み入れた。


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パリッとして、サクッとして、甘くって。やっぱり、スイーツはささくれた心を癒す魔法の食べ物だ。
一人きりの小さなワンルームで、桐谷は思わず笑みを溢した。
薄くスライスされたアーモンドがクッキー生地の上に飾られていて、キャラメルのパリパリとした食感とシュー生地のサクサク感がまた、たまらなく美味しかった。コンビニの安いシュークリームとは比べ物にならないほど濃いカスタードからはバニラの香りがする。
あぁ、幸せ……。きっと、広瀬くんもコレが食べたかったんだ!
でも――幸福に綻んでいた心が急激に萎む。
……でも、その広瀬くんは女の子のおっぱいが好き。
広瀬くん、広瀬くん。どんな時でも桐谷の思考は広瀬が中心だった。それは、忘れようとしていた三井のセリフまでもを思い出させてしまう。

『桐ちゃん、男だもんねェ』

その通り。桐谷は柔らかくて大きい胸のついた、広瀬の大好きな『女の子』ではない。だから、桐谷の王子様は振り向いてはくれない。残念ながら、桐谷は可愛くていい匂いのするお姫様にはなれないのだ。
いくら王子様を想っても、それは叶わない恋。脇役の町人Aに振られた役割は、ただ、通りすがるだけ。
いつか、王子様が――そんなものは嘘だ。お姫様なんかではない、ただの男が王子様を待っていても、いつかなんて絶対に来ない。

だけど――桐谷は考えた。甘いシュークリームに励まされ、補強された心で。
やっぱり、諦めるなんて出来ない。だって、これは初めての恋。彼を想うだけで、見つめるだけでも、俺は幸せなんだ。広瀬くんが好きだから。だから、そう。お邪魔虫が何を言ったって、意地悪したって、全部ムダ。それに――。
桐谷はいつか聞いた、広瀬のセリフを思い出していた。
桐谷にとって広瀬の隠し撮り写真が宝物であるように、彼の言葉もまた、一つ一つがキラキラと輝く宝物だ。本当はICレコーダーだって欲しいくらいなのだ。一言一句たりとも忘れることなどない。

『貧乳のオンナとヤるくらいなら、男のがマシだって』

広瀬は確かにそう言っていた。そして、その言葉は桐谷を勇気付けた。
王子様が来ないのなら。俺がお姫様にはなれないのなら。いっそ、自分から押しかけてしまえばいい。脇役は待っているだけじゃダメなんだ。
三井のセリフに含まれていたのは、男に恋した自分への嘲りだけじゃない。告白するような勇気もないクセに――三井の目はそう言って自分をバカにしていた。

今に見てろ……――桐谷は発奮し、そして決めた。
三井の邪魔なんて、障害なんて、全部全部なぎ払ってしまえ。どんなに背が低くても、見た目は女っぽくても、自分はか弱いお姫様ではない、強く逞しい男なのだ。広瀬の許まで、何もかも乗り越えて行けばいい。

一度落ちるところまで落ち込んだ桐谷の立ち直りは早かった。
いちごミルクの飴を口に含み、桐谷はゴソゴソと室内を漁る。そして目的のものを発見すると、真剣な表情で机へと向かい、一心不乱に文字の練習を始めた。

手元にはいちごミルクの大袋。一日に一個だけと決めていたそれを、桐谷は再び口へと放り込んだ。
それは恋のおまじない。自分を励ますために。挫けることのないように。そして――できれば、上手くいきますように。そう、願って。


つづく!

 

夢見がち一途。

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