100円ライターの花火

Prologue


「何か話をして」
「何かって?」
刹那の快楽に汗ばんだ体をベッドに横たえ、青年は寝物語を強請った。
「シンデレラでも、桃太郎でも、何でもいいよ」
子供のようにそう言って甘えてくる青年に、友哉の口から微苦笑が漏れる。今宵の相手は擦れた人間の多いゲイにしては些か幼いらしい。
友哉はそういった人が嫌いではなかった。まるで恋人の様な時間を楽しむ事もまた、嫌いではない。得られない何かを補うかのように、互いに相手を利用しているだけだとしても。

友哉は椅子に掛けてあったズボンのポケットを漁り、目的の物を青年の前に差し出した。
「ライター?」
青年の問いかけに頷きを返し、友哉は音を立てて火を灯した。ワンクリック式の新しいタイプとは違い、やや旧式の100円ライターは火花を散らして点火する。
「わぁ、きれい……」
瞬きの間に消え去ってしまう、一瞬だけの小さな花火。幼い頃の自分と同じ感想を漏らした青年に対し、友哉は口を開いた。

「俺の初恋の話をしてあげる」
彼ならばおそらく、この話を楽しんでくれるような気がした。だから初めて他人に話す気になったのだ。
「初恋?」
「そう、初恋。10年も前の昔の話だよ。それも、たった一日の出来事、たった、二度会っただけの人……――」

そうして、友哉は語り始めた。懐かしく、しかし今も色褪せる事のない、彼の思い出を。


#01 朝顔、カメラ


夏空に映える、青や紫の朝顔。
小学校の校舎裏、照りつける日差しの下で、友哉は小さなプランターに一つ一つ水を遣っていた。
玉の様な汗を浮かべせっせと働く友哉に対し、手伝おうなんて声は掛からない。生きもの係は友哉だけではないが、彼はいつも一人でその仕事をこなしていた。
遊ぶためにグラウンドへ出るのならともかく、ただ水やりのために靴を履き替えるのは面倒な事だから、仕方がないのかもしれない。クラスメイトはみな、友哉のようにじっと花を見詰め、一人で本を読むよりも、ボールや遊具で元気に遊ぶ事を好むのだから。

全ての鉢に水を与えた後、ふう、と満足気に息を吐いた。汗をぬぐい、物言わぬ友人たちに微笑みかける。
この朝顔だけは、自分を必要としてくれる。友達もいなく、家に帰っても一人の自分を。今日は新しく5つもの花が咲いたし、つぼみの数も増えた。
だから友哉はこの仕事が嫌いではないし、むしろ率先して行っていた。
もっと、もっと大きくなぁれ。そして、たくさんの花を咲かせて、たくさん種をつけて。来年は家でも育ててあげる。
声には出さずに語りかける。そよ、と頬を撫でた風が答えをくれた気がして、友哉の顔に笑みが増した。

ふいに横顔に視線を感じ、友哉は朝顔を見詰めていた顔を上げた。
「きれいに咲いているね」
横から聞こえてきた声は、友哉の知る教師や生徒のものではなかった。
高い位置から友哉を見下ろしてくる男は、夏にも拘わらず真っ黒のスーツを着込んでおり、明らかに部外者の様相を呈している。非常に暑苦しそうな格好をしているにも係わらず、汗一つ浮かべずに涼しげな顔をしていた。

「君が世話をしているのかな?」
果たして、校内に侵入してきた男に答えていいものか。友哉はそう思案して、そういえば、と思い付いた。
得てして学校というものは、安い土地に建てられる。そしてこの小学校もまた、そのような場所にあった。校舎の前には大きなグラウンド、裏手には広い畑と花壇。それら全てをぐるりと囲むようにある、マラソン用のコース。そのマラソンコースを少し脇に逸れると、うっそうと緑の茂る小さな山に出る。山の中には墓地があって、しばしば参拝者が校内へ迷い込んでしまう事があった。
だから、おそらくこの男性もその一人なのだろう。

「そう、です」
小さな声で答えを返すと、男は爽やかに笑んだ。
「トモヤ、朝顔の写真、撮ってもいいかな?」
許可を得るような口調だが、男性の手は既にカメラを抱えている。
なぜ名前を知っているのか。再び友哉が思案すると、男性は名札に視線を遣ってその答えを示してくれた。
会社で働いているようなスーツ姿なのに、大きなレンズの付いたカメラを持っている事も不思議だが、朝顔の写真ならいくら撮ってくれても構わない。彼は朝顔を褒めてくれたし、きっと悪い人ではないのだろう。

「ど、どうぞ……」
内気な友哉にとって、人と話すのはとても緊張を強いられることだった。それでも、穏やかに話し終始笑顔を浮かべている男に対しては、他の人よりも話し易いように感じた。だから首肯するだけではなく、声を出してちゃんと答える事ができた。
会話に対する緊張を隠しきれない声音に対し、男は優しげな笑みに顔を崩した。瞬間、友哉の心臓がドキリと鳴った。

友哉の育てた朝顔が、一瞬の露の輝きと共に過去から切り抜かれた。

「では、またね」
写真を撮り終えた後、不審な男性はそう言って帰って行った。
どうして、また、なのか。三度目の疑問に答えが出る事は無く、そのまま友哉も校舎内へと戻った。今日は二度も声を出したなぁ、なんて事を考えながら。


#02 それからライター


「やぁ、やっぱりまた会ったね」
黄昏時、家へと帰宅する途中の友哉に声が掛けられた。暮れの明星が輝く薄闇の中、またしても黒スーツが立っていた。

「あなたは誰、ですか?」
人へ問いかけるのは、ただ話をすること以上に勇気を要する。また返答が無かったら、と。そう思うと声が出なくなるのだ。
父や母のように『忙しいから後にして』とか、『お前に話すことは無い』とか、そういった答えしか無かったら。学友のように、無言で去って行かれたら。
友哉にとって話をする事は、恐怖その物だった。
それでも声を出して質問したのは、この不思議な男に対する疑問が大きかったからだ。それに、男にはどこか、この人ならきちんと答えてくれると思わせるような雰囲気があった。
朝顔をきれいだと言い、友哉に話し掛けてきてくれたこの男ならば、きっと、自分を蔑ろにしない。

「しがないただのサラリーマンだよ。モリスと呼んでくれて構わない」
返事を待つまでもなく即答で返された言葉は、再び、友哉へ疑問を齎した。
日本人のように見えるが、実はそうではないのだろうか。不思議な男は名前までもが不思議だった。
それに、と思う。真夏なのにスーツを着込んでいるのはサラリーマンだからだとしても、普通のサラリーマンは肩からカメラを提げてはいない。
どんな仕事をしているのだろうか。
じっとカメラを見つめている友哉の様子に、彼の疑問を感じ取ったモリスが答えた。

「あぁ、これはいわゆる仕事道具なんだ」
「カメラマン、なの?」
さっきはサラリーマンと言っていたけれど、本当はカメラマンなのだろうか。
まだ小学生の友哉にとって、サラリーマンといえば父で、その父はといえば毎日しかめっ面で会社へと出勤する。カメラマンとサラリーマンが同一の仕事には思えなかった。
「それは少し違う。けれど、まぁ似たようなものかな。“観察”して、“記録”する。それがわたしの仕事だから」
自分は知らないけれど、きっと、カメラマンの様な仕事をするサラリーマンもいるのだ。友哉はそう納得して、へぇ、と声を上げた。

「そうそう、これは君に」
そう言ってモリスは懐から一枚の写真を取り出した。水滴を弾き、キラキラと輝いているように見える、色鮮やかな青紫の朝顔。
今度はわぁ、と感嘆の声を上げ、友哉はその一葉を受け取った。
礼を言わなければ。そう思って顔を上げると、モリスが唐突に言った。
「君は将来、美人になるよ」
「どうして、そんな事が分かるんですか……」
礼を言うことも忘れ、どうして、と問う。なぜそんな事が言えるのだろうか。
「長年“観察”を続けているから」
また、“観察”だ。いったい観察とはなんだろうか、とまたしても友哉に疑問がわいた。モリスは友哉に対して不思議な事ばかりを言う。まるで幼い子供のように、どうして、何で、と聞きたくなるような事ばかりだ。
「きっと、周りが放っておかなくなるだろうなぁ」
『友哉』だなんて、友という字が名前に入っているにも関わらず、自分には友達の一人もいないのに、どうして周りが放っておかなくなるのだろうか。
友哉の表情が曇り、顔を伏せてじっと地面を見つめた。

「トモヤ」
そう言ってモリスは来い来いと手招きをした。
なんだろう、そう思って近づいた友哉の目の前でパチパチと火花が弾けた。線香花火よりも短い、けれど同じように火花を散らして咲く花が見えた。チリチリとあたりを焦がして小さな炎が揺らめく。
「う、わぁ……」
薄暗くなった空の下、ほんの一瞬だけ、小さな花火が散った。それは100円ライターの花火。チラチラと舞う一瞬の魔法。
唐突に見せられた子供だましの魔法に、友哉の顔から影が消える。驚きと感動で素のままの顔を晒して、僅かに頬を紅潮させた。
幼いその様子を「ふむ……」と言いながら目を眇めて見ていたモリスは、まるで唐突さが十八番であるかのようにこう言った。

「トモヤ、君が大人になったら、わたしが――」

Epilogue


「――……迎えに来てあげよう、って。彼は言ったんだ」
話の間に汗はすっかり引いて、ひんやりとしたシーツが肌に心地良い。
「それで?」
「これだけ。話はこれでお終いなんだ」
ベッドに寝そべったまま、友哉は続きを促した青年に終わりを告げた。
「じゃあ、キミは今でも彼を待ってるんだ」
だから、いつも誰かを探している。
見抜く様な青年の言葉に、友哉は肯定も否定もせず、ただ微笑みだけを返した。

不思議な男との約束を信じ、待っていたのは最初だけ。社会を知るにつれ、そんなことはもうしなくなってしまった。
それでも、やはり青年の言うように、自分は彼を待っているのだろうか。今も鮮明に思い出される彼の姿が、今は自分で買い求めている100円のライターが、その答えを示しているように思えた。
約束はした。けれど、時を定めていたわけではない。いつまで待っていても、それは愚かな行為だ。にもかかわらず、今日、青年にその話をしたのは、きっと変な感傷に浸っているからだ。
昨日は友哉の二十歳の誕生日だった。それでおかしな気になったのだろう。友哉は諦めの悪い自分に対し、苦笑を漏らした。

「じゃあ、よかったらまた相手してね」
そう言って去って行った青年の後姿を見送り、友哉はゆっくりと踵を返した。
夏の朝焼け空をぼんやりと見遣る。存在感を無くし始めた白い月と、明けを教える金星がマーブルの空を彩っていた。
そういえば、男と会ったのも今の季節だったなぁ、と想念しながら、友哉は白み始めた朝の街を歩く。

背の高い黒スーツ姿に、首から下げた一眼レフ。朝靄の中、そんな奇妙な男の姿が見えたような気がした。


end

 

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