Honey colored

▼02


ロルフの邸に使用人はいない。
ロルフはノルトヴェステンの常設国王軍≪青軍≫を預かる身として、他国へ兵を出した事後処理をしなければならなかった。しかし、アイは発熱して寝込んでしまっている。
アイの保護を王に命じられた事を建前に、書類仕事は全て自宅へと持ち帰り、ロルフは看病の合間に職務をこなしていた。

一週間程そうやっていたのだが、アイの容体も落ち着いたため、その日、ロルフは王宮へと足を運んでいた。
「考えたのだがな」
クラウスは思案気な顔をそのままに口を開いた。
「多数の侍従が入れ換わり立ち替わり世話するよりも、お前にせっせと尽された方が良いだろう。あまり人慣れていないようだったしなぁ。やはり、その方があの子のためだろう」
「は……」
言い方に難はあるが、わざわざこちらから申し出なくともアイを手元における事になったらしい。王が何と言おうと、あれは俺のものだと主張するつもりではあったのだが。
それに――とクラウスが続ける。
「その方がお前も仕事に張りが出るだろう? なにせ、家に帰ればあれだけの美人が待っているのだからな」
ニヤニヤと余計なひと言を追加する。
ロルフを揶揄って、その反応を楽しみたいのだろう。何時になったらこの王は学んでくれるのか。
ロルフは無表情を貫き、無言で慇懃な礼を返した。

lineline


アイを引き取ってからも、ロルフの生活はそれ以前とあまり代わり映えはしない。
少年に温かな食事と、清潔な衣類、そして、共に暮らすこの場を提供し、至極穏やかに過ごすだけ。
だが、そのアイの行動にはやや問題があった。
何もしないのだ。ロルフが何かを頼んだり、指示を出したりすれば動く。ただ、それだけ。

少年というよりも、この子の心はまだまだ稚い子供だ――ロルフはそう判じ、アイへの対応を子供へのそれと同じようにした。
頼んだ通りの事が出来ていると、アイの頭を撫でまわしてやる。良く出来ました、えらい、えらい。そうすると、アイは長い金糸の髪をされるが儘に乱し、ミミをひくひくと動かす。
夜、就寝する前には、その額に、頬に、そして最後に、彼の瞳よりも口よりもモノを言うキツネのミミに、優しく口づけを与える。すると、アイは大きな尾をふさふさと揺らすのだ。
大きな釣り目の気の強そうな容貌に反し、アイの一挙一動は幼く、微笑ましい。そのギャップがまたイイのだ。

(俺も気が長いな……)
手に入れた美しいキツネの心は今にも壊れそうな程に疵付き、無理に触れると砕けてしまいそうだった。
そおっと、ゆっくり。それでも確実に近づいていけばいい。
ドゥエの王のように、無理矢理その身体を奪う事は考えていなかった。アイの身柄は既に手の内。後はじっくり、心を明け渡してもらうだけだ。身体などその次でいい。

アイが己の名を呼ぶその日を楽しみに、ロルフは一人、微笑んでいた。

lineline


『昼飯は自分で考えて食べろ。家にある物は何を使っても構わないし、何をしてもいい』
だから、失敗しても構わないし、家を汚してしまったとしても怒りはしない。毎朝そう伝え、ロルフは仕事へと出かける。
それなのに――ロルフは溜息を吐いた。
「アイ、お前昼食を摂っていないだろう」

「考えるのはやめた」
澄んだ声でアイが答える。
言葉で応えることの少ないアイが口を開いた事に対し、ロルフは僅かに喜びを覚えた。しかし――それは何の事を言っているんだ?
「考えて食べろ、と。二角が言っただろう」
長くその声を聴けるのは良いが、やはり、その言葉は意味が掴めない。はて――自分の言動を振り返る。そうして、毎朝の遣り取りに思い至った。
二度目の溜息に対し、アイはピクリとミミを蠢かせる。ようやく通じたかな? ――そう言っているのだろう。
だが、アイとてもう17にはなるだろう。子供ではない。生活からアイの環境を変えることで、過去をきちんと過去に変え、できれば忘れてくれたら良い――そんな思いもあった。
「こちらへ来てからひと月は過ぎた。俺が家の中のことをやっているところをお前も見ていただろう。何も出来ない、とは言わせないぞ」
アイは可愛らしく首を傾げ、ミミを動かす。可愛らしい仕草だが、多分これは何も分かってはいない。

ここまでとは――ロルフは痛みを訴える額を押さえた。

lineline


「アイ」
暖かな窓際に寝そべる金色のかたまりに対して声を掛ける。
「西の大陸国が≪狐≫であるお前を保護しようと申し出てきた」
本当に『保護』であるかはわからんがな――心中で西の国に対し嘲りを贈る。
「どうするか、しばらく考えろ――……考えるんだ。そして選べ。お前が、自分で」
(さて、どう出るか)
申し出があったのは事実だった。だが、それをアイに告げる事無く突っ撥ねる事も出来た。実際、既に断りの返事は出してある。
だからそう、これは揺さぶりだ。
(アイは俺を選ぶ)
そして、それは確信だった。
西になどやってたまるか。誰にも、どこの国にも機関にも譲ってなどやらぬ。このキツネは俺の手を取ったのだ。あの時アイは選んだ。だから――アイの全ては俺のモノだ。

「おれはここにいては迷惑か?」
「迷惑ではない。だが、お前はもう幼い子供のように全ての決定を保護者に任せるような年ではない。庇護されるだけの年齢でもないだろう」
見当違いなアイの質問。
迷惑などあるものか。そうであったら、お前は既に西にいる――どんな思いを腹の内に抱えていてもそれを億尾にも出さず、ロルフは言葉を続ける。
「ここにいても構わない。西大陸へ渡りたいというのならそれもいいだろう。お前の意思は誰にも縛られていない。だから選べ、自分の生き方を」
考える時間はいくらでも与える。そしてその間も、アイをじわじわと侵蝕するつもりだった。そうして彼に選ばせるのだ。彼が逃げる余地の無いよう、後悔など覚えることの無いように。

「では、ここに居る。二角の傍は、心地が良い」
アイの答えは早かった。
「考えろ、と。そう言ったのは二角だろう。だからこちらで考えることにした」
(勝った)
ロルフは快哉を挙げる。
思考のドツボにハマりかけているアイへ自覚を促したかった。それで一石を投じたのだ。

「では」
そう言ってロルフは己の唇を歪めた。
「俺のことを二角と呼ぶのは止めろ」
きょとんとした表情で、アイが首を傾げる。キツネの少年は、何か分からない事があるとこの仕草をするのだ。思わず意地悪をしたくなるような、可愛らしい仕草。
「お前は二角ではないのか?」
「二角だな。だが、俺はお前に名前を教えただろう?」
アイは再び、俺を選んだのだ。これくらいはこちらから促しても良いだろう。

「……ロルフ」
胸の奥からそっと、大事に取りだすように呟かれたそれ。
結局、自分から乞う形になってしまったが、与えられたことには変わりない。望んでいた、欲していた言葉。
心が満ち足りて行くのを感じた。自然、纏う空気も表情も柔らかくなる。
ロルフはアイの髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。それはいつもの『よくできました』。

すると――冷たく整った、まるで凍りついたように無表情を通していたアイの顔が、ゆるゆると解け始めた。冷たい雪が溶け、花が綻びるように。
「アイ」

二角が手に入れたモノ。それは蜂蜜色の、甘い、甘い微笑みだった。


End

 

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