灰色の小鳥を引き取った。
ニンゲンの傲慢で摘み取られかけたその命を譲り受けることにしたのは、小さな彼が怯える様にわたしの中の僅かな良心が酷く疼いたからだった。
ニンゲンは異物を恐れ排除する。しかし、美しいものには目が無い。
ヒトは白い翼を持った有翼の混合種を天使≪エンジェル≫と美称した。翼を持たず、獣の耳や尾を持つ種を悪魔だのシソクだのと呼び棄てるその口で。
同じ混合種であるにもかかわらず、有翼だけが保護の対象とされる。矛盾に満ち溢れているのはヒトの世の常か。
美しく希少であるからと珍重されるエンジェルたちは、鳥籠のような小さな世界へ隔離された。
有翼保護区≪シエロ≫――遥か昔の言葉で天国という意味をもつその場所は、保護区と銘打ってはいても、実際には研究対象を軟禁する檻だ。
美しいエンジェルたちは、シエロにおいて一生の安全を保障されている。しかし、他の有翼たちは役に立たないと判断されれば即、≪破棄≫される運命だった。
『わたしのところへ来ますか?』
気がつけばそう、口にしていた。一度喉を過ぎた言葉は引き返せない。
シエロから有翼を連れ出すことは難しいと知りながら、わたしは約束してしまった。小鳥と共に暮らすと。
決定事項を覆すことの少ないシエロから小鳥を奪うため、わたしは奔走した。
年下の上司であり、友人でもあるルフトの力を借りるのはいささか癪だったが、こういうときくらいは役に立ってもらわねばなるまい。普段は役に立たない彼も、シエロに対しての発言権は持っている。
ルフトの権力とわたしの口八丁でなんとかシエロの許可を得ることが出来たが、ルフトに借りが出来てしまったことを考えると少々頭が痛くなる。奴はニヤニヤと何か企んでいるような笑みを浮かべて、『貸し、1つ』と言っていた。とんでもないことを吹っ掛けられなければ良いのだが。
研究所から許可を得る間も、わたしは震えていた小鳥の許へ足繁く通っていた。そして、彼に対しては優しく話しかけ、言葉を惜しまずに甘やかすことに専念した。子供に接するような言葉遣いを心掛け、彼の恐怖心を拭い去ってやらなければならなかった。
わたしの家へとやって来る頃には、小鳥はわたしのことを信用しきっていた。無力な全幅の信頼を受けるこの心地良さは一度味わうと病みつきになってしまう。
そしてわたしもまた、引き取った小鳥をこの手の中に閉じ込めた。
――グレイ、外に出たらいけないよ、君はとても可愛いから、悪いやつらにつかまってしまう。
そう言ったのは、何もグレイが思っているようなバグの脅威からではない。ただ、わたしの目の届かないところへ行って欲しくなかったからだ。
グレイは≪シエロ≫という鳥籠からわたしの手の内に場所を移しただけ。檻などと言っておきながら、ヒトの悲しき性なのか、わたしの行為も矛盾を孕んでいた。
そもそも、わたしはシエロで働いている。研究員ではなく事務職員としてではあったが、鳥籠の有翼種たちにとってはどちらも同じだろう。
『おれを飼う傲慢なニンゲン、嘘吐きなニンゲン』
現にグレイの友人は、そう言って真っ向から敵意を向けてくるエンジェルだった。
「ねぇ、グレイ。今日はとても疲れたから、子守唄を歌って欲しいな」
情事の後の睦言代わりに彼の歌を乞う。小鳥は囀る。わたしの腕の中で。
啼き疲れ、僅かに擦れた声は先刻の嬌声を想起させた。彼は自身の声を醜いと、そう思っているようだったが、ハスキーなその声音はとても艶めいていて、色欲を唆る。
グレイはわたしを優しいと言うが、本当に優しいのはグレイの方だろう。わたしの傲慢をその小さな身で受け止め、包み込んでくれる。
グレイの全てを自分の物にしたくて、わたしはまだ幼さの残る体を開いてしまった。とても大人気ない行為だったと思う。戸惑う小鳥に何も怖いことはないと嘯き、男を知らなかった身体をわたしの色で染めたのだ。
涙を浮かべて快感に啼く声も、わたしに縋る腕も、その何もかもが欲しくて。それを手に入れると、次は言葉が欲しくなった。
グレイの口からわたしを欲しいと、そう言って欲しくなったのだ。そして、快楽を与える度に熱に浮かされたグレイに強請った。
『もっと、と言って。そしてわたしの名を呼んで』――と。
今夜もそうして言葉を乞い、疲れ果てたグレイはわたしの胸にぐったりともたれかかっていた。
グレイの声を、歌を、わたしは独り占めする。これは誰にも渡せない、わたしだけの特権だ。
「やっぱり、グレイの声は癒されるね。とても心地いいアルトだ」
ダニー、ダニーと繰り返す歌詞は、まるでグレイからの愛の言葉のようだった。
「グレイ、可愛いグレイ。いつか、きっと。この大陸を出よう。ここから遠く離れたところへ行こう。安全なところで、2人で、のんびり暮らそう」
かねてから考えていた計画だったが、グレイに伝えるのは初めてだった。
政府直轄地≪セントラル≫は有翼には生き辛い地だ。色子として売られてしまうこともある。――いや、言い訳は止そう。これ以上の欺瞞を重ねてはいけない。
わたしがこの地を離れたいのだ。ここでの暮らしは息苦しかった。地上で生きるヒトビトを差別するセントラルの遣り方は、たとえここで生まれ育ったからといって、わたしには受け入れられなかった。
外界のバグに怯えて暮らすニンゲンもまた、政府直轄地≪セントラル≫という籠の中の鳥なのだ。
「ぼくも一緒?」
グレイの言葉に、微笑みに、心が凪ぐのを感じた。
いつか、きっと――そんな、叶わぬ願いを夢見るような言葉を選んだのは無意識だった。
わたしは常に恐れているのだ。
小鳥がわたしの許から飛び立ってしまうことを。その灰の瞳に、嫌悪の涙が浮かぶことを。薄桃の唇から、拒絶の言葉が発せられることを。
それゆえに、グレイの反応にわたしは安堵し、臆病な心に平穏が齎されたのだ。
「そう、グレイも一緒。君の止まり木はわたしの腕の中、でしょう?」
この腕の中から飛び立っていかないように、何重にも言葉で鎖をつける。
グレイの小さな灰色を撫でると、彼の翼はくすぐったそうにふるふると震えた。
わたしの掌ほどしかないそれはわたしのお気に入りだ。グレイが目を閉じてしまっても、唇を開かなくなっても、顔を隠してしまっても、それだけは隠しようがない。
彼の感情を見失ってしまっても、わたしはこの翼を見れば大抵のことを理解できる自信があった。
「グレイ、好きだよ」
囁いて、グレイの額にキスを贈る。
毎日、毎日囁いて、いつか彼がこの言葉を心から受け入れてくれることを願う。その間、グレイの灰色の瞳が他所へと向かないように、わたしだけを映し続けるように――そう願うのは愚かなことだろうか。
「おやすみ、わたしのグレイ。――良い夢を……」
閉ざされたまぶたに優しい口づけを。
うっすらと微笑みを浮かべるグレイを見つめる。今夜は良い夢が見れそうだった。
end