『あっぶねぇだろ! バカ野郎!!』
京都市内は細い小路が多い。しかし、そんな見通しの悪い道でもスピードを出すバカはいる。そして、そんなバカに見事に遭遇するのが大厄の俺だった。
つまり、出会い頭に撥ね飛ばされたのだ。
あんな小さくてボロっちい神社じゃご利益もなかったかとか、また入院したら今度こそ会社に席が無くなるだとか、年度末はクソ忙しいのにこれ以上休めるか? 否! 有給はもうない!! などなど、走馬灯にしてはみみっちいことが一瞬にして頭を駆け巡った。
――あぁ、人身対応の任意保険は入ってるんだろうな、ど阿呆!
それを最期に、俺の意識はブラックアウトした。
硬い。けれど、温かい。妙な感触の枕だ。
とりあえず生きているらしいが、はたして怪我の具合はどんなものか。
起きたら警察で事故の実況見分、あぁ、会社にも連絡を入れないといけないし、入院するのならば誰かに来てもらわないといけない。
先日、胃潰瘍で初めての入院を経験したが、内科的な入院と事故による外科的なそれとは勝手が違うだろう。前回は1人で入院生活をこなせたが、きっと今回は難しい。しかし身近に頼れそうな者がいない。
家族は関東だし、彼女には今日振られたばかりだ。就職で関西に来てからは親しい友人もいないとなると、頼れそうなのは同僚だが、営業成績で互いに足を引っ張り合うようなやつらには頼りたくもない。
――あああああ、めんどくさい! 俺は被害者だ!!
頭の中で簡単に“やることリスト”を作っては項垂れる。タスクを整理し、計画を立ててこなしていくのは結構好きなことだったが、もうウンザリだ。災難も不幸も厄介事も、満腹を通り越して胃もたれするくらい腹一杯だ。美味しいモノは大好きだが、こんなモノは味わいたくない。
しかし、いつまでも唸っていても仕方がない。観念してゆっくりと目を開くと、頭上から低い声が降ってきた。
「おや、ゆきちゃん、目ぇ覚めたん?」
どうやら、膝枕をされていたらしい。どうりで硬いわけだ。男の太ももなのだから。
ぎょっとして体を起こそうとするも、あちこち痛いし、動かない。あれだけキレイに吹き飛んだんだ、そりゃ動くわけがない。うう、と呻くのさえ身体に響く。首も動かせず、唯一自由になるのは目の動きくらいだった。
諦めて目だけを動かしてあたりを窺ってみたが、室内は暗く、病室を仕切るカーテンのようなもので囲まれていることと、どうやらベッドではなく畳に敷かれた布団の上らしい、ということしか分からなかった。
あぁ、あと、どこか懐かしいようないい匂いがする。
――線香、か……?
「なに、ここ。あ、もしかして俺、死んだ?」
「まぁ、死んだといえば死んでるし、生きてるといえば生きてはるなぁ」
何だ、それは。禅問答か、謎かけか?
よくわからない。この状況も、この場所も、この男も。質問に質問で返すなと教わらなかったのか、こいつは。
そもそも、大怪我をして目が覚めたばかりのカワイソウな人間を混乱させるな。
「……膝から降ろしてくれ。あと、ゆきちゃんもヤメロ」
まさゆきだから、ゆきちゃん。小学校へ上がる前はそう呼ばれることもあった。しかし、成人した男を“ゆきちゃん”と呼ぶのは可笑しいだろう。
やけに馴れ馴れしいこの男が素直に要望をきいてくれるとは思わなかったが、俺は男の膝を枕にする趣味などないので、一応、俺の希望を伝える。
そうしておかないと、こういう奴は厄介だ。無言を合意と受け取るタイプとみた。職業柄、第一印象での分析はだいたい当たる。
「ええやないの、怪我人は素直に甘えぇ」
ふふ、と穏やかな、少々の呆れを含んだ笑声が聞こえた。
この男のやけにゆっくり、まったりとした京都弁は眠気を誘う。耳に心地いい声だし、それに、あまり認めたくはないが、髪を撫でる手はひんやりとして気持ちがいい。
「そんだけ喋れんのやったら、すぐ動けるようになるやろなぁ」
――んなわけあるか、アホ。
そう言いたかったのだが、抗いがたい睡魔に負け、悪態はもごもごと口の中で消えてしまった。
続
やけに元気な怪我人だな。