「神社っていうわりに、着物は意外と普通だよな」
ここへ来て四日目、カミサマは袴、俺は一応、怪我療養中ということらしく、浴衣を着ていた。
そう、三月になったものの、真冬並みの寒さが残るこの時期に浴衣である。セントラルヒーティングなんて現代的なものがあるとは思えない、昔ながらの日本家屋であるにもかかわらず、室内は程よい温度を保っていてとても過ごしやすい。
寒くもなく、暑くもなく、湿度も丁度いいのだが、それはカミサマのおチカラの1つらしい。
カミサマとは便利なものだ。一家に一人いれば冷暖房費が浮く。
しかし、今日は屋外へ出るため、いつもの寝間着からしっかりとした生地の着物へ着替えさせられた。
着物にも冬物と夏物があるなど初めて知った。一般的な家庭に生まれ、平凡なサラリーマン生活を送っていた俺にとって、そんな知識、というよりも雑学は知る必要がなかったのだ。
死んでから得る知識が多い。他人の死後のことなど聞いたことはないし、初日からずっと俺の想像を裏切り続けているが、死後生活とは本当にこんなものなのだろうか。
「こら正装やないからなぁ……あんなじゃまくさいの、毎日は着てられへんし。色々うるさい決まりぐちがぎょうさんて、ほんまにかなんなぁ」
眉を寄せたしかめっ面で、面倒だと顔に大書している。
会社員がスーツを着用し、冠婚葬祭にはそれに則ったドレスコードがあるように、神様の社会にもマナーやらエチケットやらがあるのだという。現代の日本人である俺にとっては、袴というだけで正装のように感じられるが、松月にとっては家で着る普段着、という感覚のようだ。
カミサマというのはもっと自由気ままで傍若無人に振舞うものだと思っていたが、実際にはそうではないらしい。会社の内規や学校の校則のように決まりごとは多いし、使える力の大小もあれば、権限もその地位によって違う――というようなことを、松月がぶつくさと愚痴を交えて説明してくれた。
「言っておくが、和服の着方なんて俺は知らないからな」
「ほんなら、ゆきちゃんはボクが着付けしたるな」
毎日、と喜色満面の笑みで付け足されたが、俺の世話の何がそんなに嬉しいのだろう。そもそも25歳にもなって、そこまで手取り足取りされたくはない。
「遠慮する」
そして、できれば。
洋服が欲しい……特に、下着が――切実に、そう思った。
くだらない会話を交わした後、予定通り庭を散策することになった。
俺が居る部屋から見えるのはどうやら中庭のようなものらしく、邸の南側に広い庭があるそうだ。どうやらそちらを案内してくれるらしい。
ここは神社の境内ではないのか、そもそもあの小さい神社にこの広さの邸はおかしい――そんなことを考えながら冬の庭を歩く。
盆地特有の底冷えする空気が肌を刺すが、白や黄の花が冬の終わりを告げるかのように、ちらほらと咲いている。花を見て美しいとは思えども、その名前にまでは興味がわかないため、草花の名前なんて有名どころしか知らない。さすがに梅と桜くらいは知っているが、梅はもう散ってしまっているし、桜が咲くまで後半月はかかるだろう。庭について分かったことといえば、無駄に広いうえに池まである、ということくらいだ。
「ゆきちゃん、こっちやで」
松月はというと、どこか目的地があるらしく、早く着いてこい、と俺にいつもの微笑みを向ける。
そういえば、と思い返す。
松月の笑顔以外の表情はあまり見ない。昨日、少し拗ねた顔を見たくらいで、後は常に柔らかく微笑んでいるか、有無を言わさないようなにっこり、だ。仕事関連のことを尋ねると嫌ぁな表情を見せることもあったが、結局はへらへらと笑顔でかわす。
きっと表情の基本は笑みなのだろう。怒るときも笑顔だろうし、そして多分、悲しむときも微笑むのだろう。
そんなことを考えながら、足早に松月の元へ向かった。
「これか?」
花も葉もついていないため断言はできないが、恐らくは桜の木だ。
松月はこれを見せたかったのだろうか。まだ蕾も硬く、裸の大木は見事な枝振りを晒している。いったい樹齢はどれ程なのか、とてつもなく立派な桜である。花をつければそれはそれは見事だろう。
しかし、冬の桜を見てどういった感想を述べればいいのか。せっかく見せてもらったのだから何かひと言、と思案していると、俺に背を向けていた松月が徐に振り向き、言った。
「これ、ボクどす」
続
松月は桜なのでした。