「これ、ボクどす」
いつもよりもやや丁寧な口調で、しかし顔にはいつも通りの笑みを浮かべて、松月は言った。
「……は? これ、桜、だよな?」
「桜やで? ボクが宿ってる、うちとこの社のご神木」
ボクの本体はコレや、と桜を指差す。
「ご神木……。てことは、松月って何、桜のカミサマなのか」
事故に遭ってからというもの、驚くことばかりだ。その前はその前で、ウンザリすることばかりだったが。
目の前の男は、物は食べるし仕事は面倒くさがる、非常に人間くさい奴だが、これでもカミサマだというのだ。ここまで来たら桜が本体だと言われても、本人がそう言うのだから、あぁそうですかと肯くしかない。
「まぁ、そんなもんやなぁ……。ところでゆきちゃん、この桜の名前、知ってはる?」
「知らん。あいにく、そういう方面は詳しくないな」
「“御衣黄(ぎょいこう)”、ちゅう桜どす。ちびっと変わった花が咲くんやで」
だから御衣香神社なのか、と内心で納得する。
「どんな花なんだ?」
「ゆきちゃんはボクの目、何色に見えてはる?」
こちらの質問に対し、松月も問いで返してきた。
「えーと……あ? あれ? 黄緑?」
明るい日の光の下で見た松月の瞳は、まるで宝石のような黄緑色をしていた。
透明感のあるその色を例えるなら、ペリドット。エメラルドよりも明度の高い、橄欖石の色。
松月は桜の木のカミサマで、その瞳の色を訊いてくるということは――花弁の色がそれだということだろうか。
「……今まで、その色だったか?」
「そろそろ時期やから。……それに、桃色の桜もええけど、ボクもなかなかのもんなんやで」
そう言って、松月は花が咲くようにふんわりと笑む。
その様は、艶やかな枝垂れ桜とも、儚げな染井吉野とも違った、神々しい高貴な美しさが漂っていた。
そうそう、と思い出したように松月が口を開いた。
先程の神気の欠片も感じさせない、いつもの人懐こい笑みで。
「ゆきちゃん、現世での体は無くしてもうたから、新しい器作らなあかんくて……ほら、ボクの右の、挿し木したばかりやから小さいけど。アレ、ゆきちゃんの器やから」
指で示した先にあったのは、まだ花をつけることも出来そうにない若い桜の木だ。
「おい……もしかして、俺は今、桜に宿ってる状態なのか……」
「今っちゅうか、これからずっと、やな」
普通は桜の挿し木はでけへんねんけど、ボクの枝から挿し木したから成長も早いんやで――と、松月はにこにこと説明している。
桜が挿し木で増えるかどうかも成長の早さもどうでもいいが、俺の体、だと? 確かに死んだら体は動かない。ナマモノは腐るしな。
それで、どこぞのパンの顔のように「新しい器よぉ〜!」と桜の木を用意しました、ということか。
「……いい、いい。説明されても分からん。重要なのは、俺は今、幽霊みたいなもんなのかどうかだ」
怨念も無く、現世への心残りといえば藤の井の懐石くらいなのに、幽霊になるとは思えないのだが。それにオカルト系は苦手だ。できれば幽霊にはなりたくない。
「霊? 霊とはちゃうなぁ、どっちかっちゅうたら魂、や。こっちにあるもんは普通に触れるけど、現世のもんはまだ無理やな」
あの世で普通に生活出来てもこの世じゃ無理なのか。
今現在、俺が居る場が所謂“あの世”で、現世が“この世”だから少々表現がおかしく感じてしまう。こっちとあっちが逆だ。だが、待てよ――ここはあの世であってるのか?
神社で引き取ったと松月は言っていた。もしかするとここはあの世ではない可能性もある――連鎖的に無駄な思考に陥るのは、直面したくない現実に向き合ったときの俺の癖だ。
大木の脇にちょこんと寄り添っている若木を見つめ、はあぁ、と大きく息を吐いた。
落ちついたところで先刻の会話を思い出す。
「ちょっと待て。お前の目、桜の色だろう。もしかしなくても俺もか? 俺の場合どうなるんだ?」
「え、えぇと……鏡、見る?」
えへへ、と悪戯をした子供のように笑う。その様子で大体のことが推測できた。
きっと既に同じように変化しているか、これから変わるかのどちらかだ。
奇麗だとは思ったが、それが自分の身におきるとなると衝撃はでかい。
生きていたらモテただろうか……いや、その前に会社でカラコンは禁止だとか色々と言われたに違いない。そして黒のレンズを入れて出勤していただろう。
“もしも”を考えても仕方がないが、今はそのくらい許して欲しい。
「嫌、いい。結構だ。遠慮する」
そう言い切って、邸に戻ろうと踵を返した。おそらくここが最奥なのだろうし、今日はもう他のことを受け入れられるだけの余裕がない。
後ろから松月がついてくる気配を感じながら、もと来た道を歩く。先程も見た池が目に入り、鏡のように澄んだ水面へと目を落とす。
――あぁ、俺、死んだんだなぁ……目の色もすっかり変わってさぁ……。
奇麗に磨かれた鏡で直視するよりは、と池を通して見てみたが、予想通りの結果が待ち受けていた。
続
個人的には御衣黄より鬱金の方が好き。